閖上湊神社

東日本大震災前の湊神社

 
 

 

 

<御由緒>

蝦夷討伐当時(8世紀、奈良時代)に、大和朝廷では蝦夷各地の重要な川口に水門(みなと・港)と称し、その鎮守のために不動明王などの五大明王を祀る風習がありました。当時の「ゆりあげ浜」にも明神堂付近、現在の名取川になっている地点に「ゆりあげ五大明王神堂」として祀られていたのが起源とされています。

後に、伊達政宗が行った河川改修により移動を余儀なくされ、現在のあんどん松の下、明神堂地内に移されました。御本尊は不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、鳥栖渋摩明王(金剛夜叉明王)を祀り水上貿易の守護とされていました。

その後、室町時代の応永年間(1394~1427)に、上記五体の明王に加えて、春日大社の御祭神を勧請し「ゆりあげ水門(みなと)神社」となり、通称「お明神様」と呼ばれ親しまれてきました。

明暦3年(1657)神託により、今回の東日本大震災で流失した場所(閖上2丁目)へ遷座し、明治2年(1769)神仏分離令により現在の「湊神社」となりました。

このとき神佛混淆禁止がなされたことから、不動明王像を除く四体の明王像は閖上の羽黒山修験行堂天正院に、十一面観音像は同じく閖上の淘上山観音寺(真言宗智山派)の𦚰仏として安置されました。後に天正院は当社の所有となり、四明王様をお祀りしておりましたが、東日本大震災の津波により流失してしまいました。なお、不動明王像については閖上外の寺に安置されるも火災により焼失したと伝えられています。

平成23年3月11日東日本大震災による大津波により社殿をはじめとする境内施設のすべてが流失する被害を受け、現在も再建を進めております。

ページ内東日本大震災による被害へ

・末社 富主姫神社、竹駒神社遥拝社

・摂社 船霊社、古峯社

<御祭神と御神徳>

〇健御賀豆智命

〇伊波比主命

〇天之児屋命

〇比売神

 

平和外交、また弓矢の神として勝運、戦運、武運長久祈願、心願成就、産業、海運交易、大漁、海上安全、災難除け、交通安全、縁結び、安産などの御神徳があるといわれ、閖上では漁業安全や大漁をもたらす神として厚く信仰されております。

<祭礼>

10月第三日曜日に例祭が執り行われます。

東日本大震災の年平成23年は神社関係者のみでの神事のみとなりましたが、翌年には神輿渡御を再開いたしました。

東日本大震災前の神輿渡御の様子。かつてはお神輿様が町内の裏路地までをもくまなく巡行し大変な賑わいでした。

東日本大震災発生の翌年平成24年、復興が始まったばかりの閖上でその足掛かりとして例祭を執り行いました。御神輿は全国から寄贈という形で奉納されたもので、がれきの残る中、仮殿としている閖上日和山の周囲を巡行いたしました。

平成29年、閖上日和山で神事の後、町内へ移動し、復興が進みつつある新たな閖上町内での渡御を行いました。

東日本大震災による被害

平成23年3月11日に発生した東日本大震災の津波で社殿、境内の建物が流失しました。写真中央の石柱は参道上に流された鳥居の柱で、雄勝石の重厚な大鳥居でした。

同年、同じく東日本大震災の大津波で流失した末社(とみ)(ぬし)(ひめ)神社御鎮座閖上日和山へ遷座、当時は境内地がどのようになるのかも分からない状況の中で再建を目指すこととなりましたが、クラウドファンディングを通じ全国の皆様の御奉賛により平成25年5月、富主姫神社の御社が再建され仮殿とし御鎮座。

また、当地閖上日和山は宗教を問わず鎮魂と慰霊の場として定着しつつあることから、鎮魂社を合祀いたしました。御社には東日本大震災で犠牲になられたご遺族の方々の希望により、氏名を記した木札が収められております。

東日本大震災からの復興

平成29年に土地区画整理事業地内に新境内地を確保、引き渡しを受け本格的な再建事業を開始しました。

平成30年5月、伊勢の神宮より式年遷宮の古材として賜りました大鳥居を閖上復興のシンボルとして建立することから再建は始まりました。

神輿殿は伊勢の神宮より譲り受けた式年遷宮の古材を一部利用しました。

神輿殿が社殿の再建よりも先に進められたのは、各地から御奉納の神輿、山車を仮設の倉庫にて保管しておりましたが、震災復興のためのもので供与期限が設定されていたためでありました。

夕方から数時間、ライトアップを行っております。

平成30年10月、閖上の復興にあわせ新たな境内地で神事を斎行するため、仮殿ではありますが境内施設を整備しました。復興は少しずつ進んでおりますが、いまだ道半ばであります。

令和2年、社殿再建へ

令和2年2月27日、東京国際フォーラムにて株式会社創建様の「被災神社再建・地域振興プロジェクト」第3弾として当社がその対象に選定され、現物による寄贈を受けることになりました。

 

令和2年8月25日 柱立ての儀から建築が始まりました。

令和2年9月16日 上棟祭。

新型コロナウイルスの影響の中であり、関係者のみで斎行されました。

令和2年11月6日 竣工祭。

こちらも新型コロナウイルスの影響の中であり、関係者のみで斎行されました。