江戸時代、塩場より製造した塩を幕府に献上するため、船で江戸へ運搬する途中、房州(千葉県南部)沖で遭難したとき、船頭たちが竹生島弁財天に祈願したことにより無事帰還できたという御利益に感謝し、竹生島弁財天を伊藤家(製塩業)に勧請し、塩場近くの沼に弁天島を作り氏神様として祀られたのが始まりとされております。その後も豊漁守護の御利益が数々あり、町中より参詣者が絶えないことから富主島(宮下橋付近)に御鎮座致しました。
伊達藩の貞山運河開堀などを機に一時冨主旅館へ御遷座致したのち、明治41年に湊神社へ合祀されましたが、日和山の築山とともにその山頂へ御遷座致しました。